仕事の嵐が過ぎました。ここ二ヶ月くらいはほとんど仕事以外のことは何もできずでありました。
当然ながら、野菜や植物達の世話もほとんど出来ず。一日に一時間でも時間があればいいことなのに、実際には「仕事」ってやつはそれさえも許さないことが結構あります。
『日本人は忙しすぎて、身の回りの環境のことにも、世界で起こっている理不尽にも関心を持つ暇さえない。』とある環境等に関する専門家の方が言っていた言葉が思い出されます。実際のところ、人生の隆盛期のほとんどを「会社」のために働く日本人は、世界的に「身の回りの環境」にも「世界」にも無関心な人が多すぎるように感じられるのですがどうなでしょうか?
今年の5月に植えた野菜達はすでに収穫時期を終えました。ド素人の私はほとんど収穫はできませんでした。植物達はその旺盛な成長期も実りの時期も終えて、葉を枯らし、実は腐り、土に還るプロセスに入っています。幼年期から壮年期までの活力に満ちた姿も美しいのですが、トキに人が忌み嫌うこの土への還元時期も自然界では大切なプロセスです。
私は、育てた植物達のわずかな実りは自分の胃袋に入れるのではなく、土に還すことにしました。私がきちんと世話できなかったからですが、ちゃんと実ることができなかった種は、自然の環の中にいるのが「自然」で、この「種」から「発芽」「発育」「実り」「腐食」「土」〜という「環」にこそ私は「美しさ」を感じます。
本来は、人間もその環の中にいるべきなのですが、現実はというと、少なくとも日本の生活はどうもそうではありません。むしろその環を壊している存在になっています。身の安全のために自然に手を加え、快適さ(美しさ)のためには汚いものに蓋をする、そんな潔癖さは人類の最大の特徴で長所であり愛おしい性(サガ)ですが、そんな長所を生かしつつ、再度「環の中の人」を意識しつつ生活してみたいなと、そんなことを思います。